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今時就労事情。そして大切なこと。

一旦就職してしまえば、自ら辞めない限り身は安泰の保障された雇用

などというものは、とっくに過去のものになってしまった。

今の時代、五年先十年先の事など、誰も予測はつかない。

中学、高校、志望校目指して塾通いと受験勉強、そして就活。
誰もが大学を出る時代。

確かに、車を運転するには免許の取得が大前提であるように、希望するハードルが高ければ高いほど、その目的を達しようとするなら、やはり先ずは、扉の前に立つ条件としての能力、学歴はひとつ条件でもあるかもしれない。
採用される事の扉を開けなければ何も始まらないのだから。

しかし、大学出ても、余程に他人より秀でたものを持たないと、その中の一員ともなれずに、とりあえず先を目指してきた過程における多くの受験仲間同様に、やはりその他大勢の中に埋没してしまう。

入口の前で右往左往する就活。
とりあえず目指して来たものがなんであったのか。
多くが持つ大手志向も、社会で生きて行く前段で、忽ち立ち往生しなければならない現実。

偏差値をくぐりぬけ、一昔前の人間よりはるかに知識も能力も高いはずなのに・・

時代は変遷する。
高度成長期を生きた者には、終わりのない右肩上がりの希望があったのも事実。
しかし、いつの時代もそれなりの苦労はある。

ネットに家電に交通に、便利に富、全てに満たされた現代社会と全てに整っていなかった昔。
どちらが良く、どちらが悪いのか。
あれこれ不満を言うなら、永遠と根本は解決しない。

幸せが平均化した恵まれた世にあって、漠然と充されぬ気持ちを抱くとすれば、それはいったい何なのか。

荒削りでも、便利性に乏しくとも、活き活きとした日常もある。

あまりに恵まれ過ぎたなかで、小さな幸せや足るを知り、感動する心を失ってきたのではないのか。

PCもネットも、私がこれを書いているipadも、実に便利だ。
端から、何の疑いもなく手元に存在する便利さ。

しかし、大切なのは、
私は、時の経過とともに、色褪せていく紙上の活字の良さも、
あるいは、土埃をあげてすれ違った郵便配達員のバイクを見た途端、
首を長くして待っていた、彼女から届く手紙を想い、一目散に駆けて行った、大学から寮への帰り道も、
その、アナログのものを心に持って十分に、今の便利さを享受しているということ。

何時の時代も、失ってはならないものは多々あるのだ。

人生は直線ばかりではない。
障害物も迷い道もある。
いくら学歴に優れようとも、それはひとつの切符に過ぎない。
新幹線から在来線。
はたまた、否応なしに一車両のローカル線に乗らなければならない時もあるかもしれない。

その時に、自負していた華麗な己を思って今を悔やみ続けるのか。
人生は、知力体力、そして心、総合力の長期戦だ。

たまたまローカル線に乗ることになれば、開け放った窓外の流れる景色を楽しめばいい。
乗り合わせた地元民と気さくに世間話のひとつもすればいい。
回り道など、人生の一時だ。
それも出来ない、味わえない人生など、いくら能力に長けていたとしても先は知れている。
飛びきりの縁や、運というものは、案外その様な回り道に転がっているもの。

例えそれなりの企業に入れたとしても、そこから先が長い。
視野に入れもしなかった小さな会社に、自らの存在価値を見出せる場合もあるだろう。

真の幸せや生き甲斐というものは、心を持ってしてはじめて近づけるものなのだ。

相談Dr.Next