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人生における運気

人生には、その都度における転換期というのがあります。
私も振り返れば、あの時あの場面・・その転換期なるものが数々浮かんできます。

まるで、綾織る様な人生というものは、最初からその人生地図を渡されたとしても、現在地の到達点を目指すには複雑過ぎて、到底行き着くことはできないでしょう。端から道程経由が分かっていれば、行けるというものでもなく、予測ができたとすれば、歩む人生はまた違ったものになるでしょう。

事前に窺い知れる半ば出来合いの人生路なら、荷を背負い足腰痛め、汗流して山頂に立った光景のように、迷い道を抜けた先に待つ、感動の膨らみを持つことはありません。模索するような過程にこそ、ひとしおの人生意味合いを持つのです。

運気というものは、5年、10年、干支周りと、周期は人によって違うようですが、いずれにしても、何もない人というのはなく、活かすも活かさないも、気が付くも気が付かないも、その幸運の方角へ導かせるのは、誰あろう自分自身であるのです。また、真の運気というものは、周期を待つ必要もありません。

「今年は運気が悪いので唯々じっとしておかなければならい」ということも、「殺界云々」というものに、人生における気を引き締める注意は払っても、翻弄されてはいけない。

坂本龍馬が、「今年は運気が悪い」「だから薩長同盟などに構ってはおれぬ。今はじっと我慢の時・・」「方角が悪いので、薩摩には行けぬ・・」などと、馬鹿げたことを言っていたら、龍馬が龍馬でなくなってしまいます。

私など、転換期と思われる時は、どれも殺界の只中でした。もし、あの時、時を待っていれば、まだ大きな幸運が私に訪れたのか・・そんなことはありません。かけがえのない人生は、自ら運んでいくものです。せいぜい、身体の調子が悪い時には、無理をせず養生をする。その感覚の捉え方でよいのでしょう。

人生における谷の時においても、めげずに自分なりの精進はできます。我を棄てず明日に希望を描き勇気の一歩を踏み固める。負けない心のなかに、天は優しく微笑みかけ、あらかじめ用意された「上がりの人生」を形に見せてくれるのです。

付き合っていても、運の回る人となんとなく回らない人がいます。回らない傾向の人というのは、何事にも否定的であったり素直さに欠けていたり・・其処にある幸運を、自ら遠ざける振る舞いが見受けられるようです。

仮に、人生70年として、10年ひとベースにした場合、7回の展開場面。それをまた、1回を1/2として細分すると14場面。大切な人生というものを、画一的運周期に合わせると、逆に分断された人生脈絡となる恐れがあるでしょう。

いずれにしても、主は自分なのです。自ら努力することなく背を向ける人生では、誰が応援するでしょう。天もまた応援のしようがない。しかし、何度失敗しても、気が付けばいつでもやり直しができるのが人生でもあります。その点では、全く世に不公平などありません。

運気は常に変化し続けています。
どのような時にも、前を向いた誠実な人生の対峙姿勢に、小さな枠での運周期を超えたところで、天は大いに味方をするのです。記:2011.10.19

相談Dr.Next