お役立ちコラム

夫婦

別れはいつかやってくる。長年連れ添った相手が逝ってしまった時、その寂しさが、相手への思慕と共に、ひとしお長く途切れない場合、互いが辿った夫婦間の人生というものは、おそらく上手くいっていたに違いないと思われるのです。

また、夫に先立たれながら、その後活き活きとして生活している妻の姿もあったりします。まるで何かから開放されたかのように。だとすれば、それぞれの夫婦間というものは、人生をどれほど共有できて、どれほど脆弱であったのだろうと思うのです。

それにしても、連れ合いを亡くした場合、心脆いのはやはり男の方ではないか。妻が夫に抱く感情に二者あるとして、夫の場合は、皆が一様に寂しく思うのではないだろうか。男の場合、真の妻への情を持つ者もいるとして、それまで身の回りに不自由のなかったものが、いきなり不自由な目に遭うことになったことへの、身勝手な寂しさを伴うものもあるだろう。

本来、精神的に弱いのは男の方だ。妻がいなければ身の回りの事が何もできず、おろおろするのは男だ。仕事をリタイアした後の男というのは、家庭において役立たない事が多い。

夫の死後、妻が活き活きとしているなら、それはある部分開放されたことに因るものだ。だとすれば、そのような想いにさせながら、長年露知らなかった夫にも責任があろうというもの。

妻が活き活きとしている。それはそれでいいではないだろうか。妻にも自由があっていい。夫婦というものを考えてみれば、此の広い世において唯一として出会うことの深い縁を思うのです。どの様な夫婦間の人生を辿ろうと、せっかくの縁。男は今一度、常日頃、仕事の忙しさを言い、ついつい妻に寂しい思いをさせていないだろうか、我に問うてみようではないか。

妻に先立たれて為す術もなく、はたまた妻を残して先に逝くとして、後に活き活きした妻の姿があるとすれば、それはそれで寛大なる心で喜んであげよう。

過ごしてきた夫婦の人生が、良き人生であったなら、それはもう、流れた互いの人生を事あるごとに思い起して、いつまでも忘れることなどできないでしょう。相手を想い、悲しみは時をついて込上げてきます。しかし、その深い思慕に、夫は有難く思いながらも、残した妻の寂しそうな姿を嬉しくは思わない。やはり活き活きとして、自分の分まで生きて欲しいと願う。

血を分けた兄弟姉妹であっても、それぞれに家庭ができれば、そもそも肉親とはなんだったのだろうと考えさせられる程に憎しみ合うケースもまた多い。金が絡めば一層憎しみは増幅する。

肉親とも違う特別な「絆」を持つことができるのが夫婦でもあるのです。苦楽も喜びも共有しながら辿る人生路。

例え子供でも、成長し家庭を持てば、そこでそっと見守りながら親子を放していくことも大切だ。それぞれに自分の家庭が主となるのは当然。

いつまでも話し相手に、そして頼りになるのは連れ合いなのです。
せっかくの縁。良い夫婦人生を送ろうではありませんか。
2012.8.10

相談Dr.Next